やってきた木型
フリーペーパー掲載がきっかけで、ある方から連絡をいただきました。
以前帽子を作っていたけれどもう作らなくなってしまった。木型を使ってくれませんか?
木型は買い揃えるのによほどの思い切りが必要なほど高価なものです。いくつか持ってはおりますがいただけるのは有難いこと。ご自宅は自転車で10分ほどのところ、お約束をして伺うことにいたしました。
麦わら素材やフェルト素材の帽子を作るのに木型は欠かせません。ところがそれらの帽子は少しおめかししたお出掛け用の印象が強く、加えて高価になるのでなかなか動く(=売れる)帽子ではない。そして材料費も決して安いものではありませんから、個人作家にとっては経費をかけて作っても回収出来ないリスキーな商品になりました。作る数も少なくなり、なかには帽体(ぼうたい=麦わら素材やフェルト素材)よりも布帛素材だけで帽子を展開する作家もおります。商売をしていて売れないということは、すなわち死に至ります。帽子を続けていくために皆、知恵を絞って活動しているのです。
あくまで私事として。帽体は帽子作家としては取り組みたい素材であり技術です。海苔巻き・太巻きでたくさんのお客さまに喜んでもらえるのは嬉しい一方、寿司懐石で腕を振るいたい…この例えが相応しいかどうかはともかく、私としては非常に嬉しいお申し出。その日、自転車を走らせてお宅へ伺いました。
とても上品でお洒落なご婦人が迎えて下さいました。そしてこちらが想像していた以上の木型、麦わらやフェルト帽体、ブレードが。少しの時間のお話で、かなりしっかりと帽子を学ばれて作られていたことがわかります。「木型を無駄にしないで済むのはとても嬉しい」との言葉に何度もお礼をお伝えして木型を持って帰ってきました。(ものすごい量で前後のカゴは山盛り。ハンドルにも大きい袋をぶら下げ、かなり不審な姿で自転車を走らせていたら、交差点で交通安全のティッシュをふたつ配られました。)
このことがなければ、近くに住んでいても一生出合うことのない方だったでしょう。今回の木型の件だけでなく、帽子を作っていることでさっきまで他人だった方と声を交わし、おしゃべりをし、見ず知らずの私の帽子を買っていただく。中にはその後も私のことを気にかけて下さる方もいらっしゃいます。
よくよく考えると非常に不思議なこと。
もしかしたら。私はいろいろな場所に出掛けるために、そこで様々な人に出合うために帽子を作っているのかもしれません。
わあ、とっても素敵なお話ですね。私も嬉しくなりました。
新しく仲間入りした木型たちは、どんな帽子を生み出してくれるのか、とても楽しみになりました。
よいクリスマスプレゼントになりましたね、帽子が風で舞うように、素敵な人のところへ連れて行ってくれるのでしょう。
素敵な帽子は味方になってくれる、心もオシャレも。素敵な帽子は素敵なところへ(人へ)連れて行ってくれる。
そんな感じなのでしょう。私もあずささんが作家になってくれたからこそ、1番のお気に入りと出会えました。ありがとうございます