誰のための顔?

IMG_0159訂正。「誰のための帽子?」で「自分が着飾っていても自身で見ることが出来るのは身体の前の一部分で背中や頭は見えない」と書きましたが、身体をぐいっとひねると脇腹から下が見えることを確認。もっと身体が柔らかい人だったら背中も見えるだろう(たぶん)。
ここで明らかになりました。自分で絶対見えないのはズバリ「頭部」。
そして自分で絶対見えないのに、お手入れお化粧などで一番手をかけるのは顔。そして顔は身体の中で唯一露出してる部分。露出してるから化粧をするのかな。うーん?

私達が人に会った時。背の高い低いや細身だとかふくよかだとかで判別するより、やっぱり「顔」で「誰であるか」を識別するのだと思います。顔認証もパーツの位置や大きさなど特徴データを照合して個人を特定するものですから、私達が「顔」で個人を特定するというのは間違いではないでしょう。
「顔」は自分のものだけど「自分を他者に識別してもらう」要素があるということですね。

女子美高校時代。油絵で人物画を描いてた時に先生が「顔はどうしても目がいくところだから魅力的に描いた方がいい」って言っていたのを思い出しました。そういえば「人形は顔が命」という某人形メーカーのCMもありますね。
そこで連鎖反応的に出てきたのが「マネキン人形」。表情がしっかりついている「リアルマネキン」は人形の印象が強過ぎて服がマネキンに負けてしまう。今の主流はシンプルな凹凸で目鼻を表現している「抽象マネキン」が多いとか。確かに頭部がないものもあるし!表情が曖昧だと顔に視線が引っ張られないので年齢やブランドイメージを限定する事がなく広く対応できて、無難で使いやすいということ。
でもそれは「誰でもない曖昧さ」はマネキンなので許されることで、私達は社会生活において「私は誰なのか」という自分らしさや存在を示すことが必用とされます。たぶん無人島で一人だったら「自分の存在を示すこと」は必要ないはず。

自分で見えないけど第三者からは私を認識するための「顔」。
帽子を考えるつもりがこんなところにきてしまいましたが、帽子を巡ってあれこれ考えるのは結構面白い時間です。

写真は昨年春の某百貨店での展示の様子ですが、やっぱり顔がない。

野村あずさ

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