色をつくること

大学大学院と染織を勉強し、(他の仕事と掛け持ちで)染め物工房のスタッフとして20年ほど服地を染めていました。
染織に携わることで「布」という素材を作ることはとても魅力的でした。そしてたぶんそれ以上に「色を作る」ことが楽しかったように今は思います。
私達の身の回りのものの小さいものから建築に至る大きいものまで、機能でいえば「彩色」がなくても十分のはず。それでも色や模様で彩るのは、ラスコーの壁画の頃から私達が持っている「飾りたい」気持ちに他ならないのでしょう。「あれ?古代ギリシャの彫刻建築は真っ白だけど?」と思った方。誠に残念なことに最近の研究であれらももともとは極彩色だったことがわかってきています。18世紀頃に「古代ギリシャは崇高で美しい」理想像を高めるために白く磨き上げたとか。逆説的にはなりますが、このエピソードも色が持つイメージの強さを良く表しています。

日本のように四季があり温度湿度が体感に関わってくると、色から具体的もしくは抽象的なイメージを感じる場面は日常です。そこに個人の主観的な感情も加わる。権威、呪術、祈りなどの社会的イメージまでもが重なって、色が発する情報と私達がひとりひとりが受け止める感覚は正に多種多様。形にならない流れ去る気持ちをせめて「色」で繋ぎ止めることが出来ないか。「色」にはそんなことを想像させる奥深さがあるように思います。

帽子屋がなぜこんなことを言い出したのかというと、昨年からごくたまに「染め」のお手伝いをすることになり久しぶりに色を作るとそれはとても楽しく魅力的な作業だったから。
私がかつて作品として染めていた布はグラフィック的要素が強く、気に入っているものはいまだ大事に保管中。しかし素材として「使う」のはなかなか難しいのが本当のところ。ですから帽子に関しては今は市販の生地を仕入れて作っています。
しかし私は染めることが出来る。もしかしたらお客さまのご希望の色・ご希望の色のグラデーションで染めた生地で帽子を作るというオリジナルファブリックでの帽子オーダーも不可能ではないでしょう。お客さまにとって正真正銘の世界でひとつの帽子になる…いくらになるかは恐ろしくて計算したくありませんけれど。

出し惜しみしているわけではありませんから、自分の持っている技術を全部注ぎ込んで活動していくことが私のオリジナリティになるのであればそれはすべきかと。
そんなことを考えながらの雪の日の染め仕事となりました。

野村あずさ

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