デザイナー 野村あずさ
小さい頃は髪が薄くて男の子に間違われ続けたのを親が不憫に思ってかどうかはわかりませんが、帽子を被せられていたのがそもそもの始まりだったのかもしれません。
気が付けばいつも帽子を被っているようになりました。
この服にはこの帽子。
このバッグにはこの帽子。
帽子を被っているだけでなんとなくお洒落に思われたのも嬉しく、「あずさちゃんは帽子が好きでいつも被っているんだよ」と「帽子」は私を表す言葉になっていきました。
最初はお小遣いを貯めて買っていた帽子。しかし増えるに従い好きな帽子になかなか出会えなくなってきて、それなら自分の被りたい帽子を自分で作ってみようと思い立ったのが20代も終わりの頃。
当時は仕事をしていたので帽子は空いた時間でのほぼ独学、しかし市販の手芸レベルの本では自分の思うような帽子は作れません。
思い立って某服飾系学校の夏期講習帽子講座を受講したものの、キット購入でサンプルと同じ帽子を作るという講義内容。これではいつまでも自分のイメージに近づかない。そこで不躾にも講師の先生をつかまえて「自分のイメージした帽子をつくりたいが仕事があるので土日しか通えない、その条件でいいところはないか?」と尋ね、今の師匠 小林時代(ときよ)を紹介していただきました。そして私は小林のアトリエに通うことになったのです。
平日は大学助手の仕事、月2回の土曜日は帽子の勉強、そしてその頃は毎日曜に染色工房で制作スタッフ(つまり染色職人)の仕事をしていました。休みはほぼなくても、それでもとても充実した数年を過ごしました。
30代半ばで退職してからは画廊などでアルバイト、染色作家として染色作品を発表しながら帽子制作も細々と続けておりました。
帽子を作り始めて10年経ち、帽子だけを発表したいという気持ちが芽生えました。そして2005年、始めての帽子の個展を開きました。
夏にはドイツで滞在制作発表というアートフェスティバルに参加。
帽子作家の集まりであるマルシェ・ド・シャポーがスタートしたのもこの秋。他にも展覧会が続き、帽子作家としてのスタートを切ったといっても良い年でした。このまま突っ走るつもりでしたが、妊娠がわかったのもこの時。
仕事場と住居が一緒だったので、この時点で染色の方を一時休止(染色は恐ろしいほどの広さに水場にガスも必用なのです)。道具設備類を全て片付け処分して帽子だけに絞りました。
長男出産。帽子の展覧会で僅かな手応えを感じていたのにも関わらず、当然ながら大幅なペースダウンをせざるを得ません。大学時代の教授が「女性は人生に何度となく選択を迫られる場面がくるけど制作は細く長く、それこそ切れそうになっても続けないといけないよ、一度止めたらなかなか再開出来ないものだからね」と言っていたのを支えに、もどかしい気持ちを抱えながらとにかく止めずに細々と続けました。
有難いことに帽子講座講師や再び展覧会のお話をいただき、さぁ、再スタートだ!というときに二人目の妊娠。
妊娠8ヶ月で売場に立ったり、臨月まで飛行機に乗ったりしながら無事次男出産。
↓お腹が大きいのがおわかりになりますか?
再びのペースダウン、二人の子育て。それでもまた徐々に仕事を頂けるようになり、あちこちでたくさんのお客さまに帽子を見てもらう機会に恵まれています。感謝の言葉もありません。
お客さまに喜んでいただける帽子を作ることは当たり前、自身の軸にあるのは「帽子をキーワードにしたコミュニケーション」。帽子を買っていただくのもコミュニケーションのひとつのかたちです。加えて面白い、楽しい帽子で興味を持ってもらうもそのひとつ。まだまだ帽子でいろんなことが出来るはず。
次男が小学生になったのを機に、東京都内近郊が中心だった活動を少し広げてみました。私はいろいろな場所に出掛けるために、そこで様々な人に出合うために帽子を作っているのかもしれません。
フリーペーパー「ima’am(イマアム)」
12月発行の「2019年12月/2020年1月 vol.219」巻頭「今を創る人」に掲載されました。
帽子制作活動についてわかりやすいテキストです、ご興味あればご覧下さい。
(記事は ima’amサイトのこちらでもご覧いただけます)
野村あずさ
1966年 生まれ
東京都練馬区出身、在住
女子美術大学産業デザイン科工芸専攻 卒業
多摩美術大学大学院美術研究科デザイン専攻 修了
多摩美術大学共通教育学科大学院研究室助手(1992〜2002年)
南青山テキスタイルスタジオ のの 制作スタッフ(1992〜2012年)
NHK学園国立本校 帽子教室講師 (2002〜2014年)
徳島文理大学短期大学部 社会人講座講師 (2007 〜2009年)
東京国立近代美術館工芸館 ガイドスタッフ (2004〜2020年)
小林時代(ときよ)に帽子を師事(1998〜2020年)