伊勢丹相模原店「アートクラフト展」で思ったこと

私が染色作家として活動制作し始めた頃はまだパソコンもスマホも、ましてや昨今大賑わいの「手作り市」「ハンドメイドフェア」「クリエーターズマーケット」の類いもありませんでした。個人で発信する術は今よりすいぶん限られていたと思います。作品を発表する場はもっぱら貸し画廊。お金を貯めて画廊を借りて、新聞や「ぴあ(懐かしい!)」など情報誌の「展覧会情報欄」へ掲載してもらうためにDMをせっせと送ったものでした。
それに比べると手軽に作品(商品)を大勢の人に見せることが出来る今は、本当に恵まれている。そんなクラフトフェアに初めて出展しました。先日の伊勢丹相模原店「アートクラフト展 11月1日(水)〜6日(月)伊勢丹相模原店 2階 ギャラリースクエア」。

伊勢丹相模原店において初めての「アートクラフト展」は、相模大野アートクラフト市との連動企画。このアートクラフト市は春秋の年2回。今年は11月5日に第22回目が開催され出店は伊勢丹内合わせて439店、例年4万ともいわれるお客さまを動員する大イベント…らしい。
5日当日。私は伊勢丹内から外に出なかったので、どれほどの賑わいだったのかを体感することは出来ませんでした。しかし館内にいらっしゃるお客さまの多さで想像するのは充分だったと思います。

439店。すごい数です。
それほどの人がこの場でモノを作って売っている。「モノを作る、モノを売る」ということを改めて考える時間になりました。

思うことはあれこれありましたが、ここではふたつ。
ひとつは日本語において「手作り」という言葉のバリエーションがないということ。保育園の通園バッグを作ったら意外に可愛く出来て他のママ達にも頼まれて作るようになった…という初心者から、「重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)」の方々も言うなれば手作りで作品を生み出している。キャリアやスキルの差が感じられない「手作り」という言葉でひとくくりに表現するのは少々乱暴ではないかとの違和感。
もうひとつは「カタチになっていること」と「商品として通用すること」。これらは決して同列ではないということ。

アートクラフト市は公募無鑑査の抽選で決まります。(私が参加した伊勢丹内の「アートクラフト展」は企画会社を通しての出店です)
美術の世界で無鑑査といえばアンデパンダンが頭に浮かびます。これはパリ発祥の独立美術家協会。新印象派の画家達がアカデミー(官設の美術展)に抵抗して組織、19世紀末に無審査・無賞の展覧会を開催したのがスタート。「アンデパンダン」、英語だと「インデペンデント」。この単語は美術運動においては権威に屈せず自分の作品を自由に表現する作家達のことを指します。つまり権威主義的な美術界はもとより、批評家からも、対価からも、賞賛からも、名誉からも「独立してしまった(束縛・支配されない)人々」の展覧会。
一方手作り市は行政や企画会社主導のものが多い、大々的に作家を募ってのイベント。

手作り市とアンデパンダン。同じ無鑑査でもイベントに対するそのアプローチの仕方は全く異なります…ジャンルや目的が違うと言えばそれまでですが。そう、手作り市は作家や作品の発表と同時に「商売という行為の場」というカラーが強い。実際 この相模大野アートクラフト市の目的は「商業活性化」だと、実行委員の方の名刺に明記してありました。

今回参加したアートクラフト展のような手作り市全般、出店者どうしやお客さまが出会い繋がり楽しく過ごせれば皆が大喜び。売れれば出店者は増えるし、出店者が増えれば「面白いもの・素敵なもの見たさ」のお客さまも増える。イベント自体も出店者や集客が多ければ多いほど成功と判断されるのでしょう。
「手作りですよ」「うわー、可愛い!」「世界でひとつしかありません」「これ下さい〜」「どうもありがとうございました」こんな声があちこちから聞こえていた6日間でした。

催事である以上は売上げがないと困ります。今回の参加者の中には私に「(売上げ)ゼロ対策に安い帽子を置いたらどう?」と進言下さる方もいらっしゃいました。今の私の帽子の価格は「手作り市」のイメージからすると高めでしょう、そう捉えられても仕方なかったかもしれませんね。
しかしどんな時でも、自分は何のために作っているのか、そのモノは自分の考えを具現化しているのか、私やモノは相手に対してどんな価値を提供出来るのか。そこは最後まで大切にしていくべきことかと(例え痩せ我慢しても)。
難しいことを言い過ぎかもしれませんが、モノを作っていく上での基本的なことを再認識出来たと自分では思っています。

野村あずさ

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