「作家もの」ということ

帽子作家のブログであれば、新作紹介や催事案内および報告で充分でしょう。ところが私は「何を考えて帽子を作っているか」「帽子を通じて何をしたいか」ひいては「なぜ学生時代から延々とモノを作っているのか」ということをかなり(しつこく)書いています。「そんなこと帽子を被るのには関係ない」のですが、それなのにどうして延々と述べ続けているのか…暇つぶしではありません、一応の理由があってのこと。

東京のど真ん中・北の丸公園、そこに東京国立近代美術館工芸館があります。重要文化材である煉瓦造りの元近衛師団司令部庁舎、その建物を改修して日本と外国の工芸及びデザイン作品を収集・展示している特色ある内容の美術館(工芸館)です。
私はそこで鑑賞プログラム「タッチ&トーク」を案内するガイドスタッフをしています。
ここではガイドスタッフが展覧会内容に合わせ各自でプランを作ります。展示作品を幾つか選んで45分ほどのガイドツアーに構成し、当日は参加者が更に豊かに鑑賞出来るよう案内を致します。
当日に向けてはガイドスタッフ対象の勉強会を含め、選んだ作品について理解を深めるため資料を探したり読み込んだり。あまり資料が残っていない作家作品に関しては時代背景や同時期に活躍した作家などと比べてイメージを膨らませます。逆に資料豊富な作家作品は非常に有難く、特に作家自身の考えや作品に対しての言葉を残していると資料が充実するのは言うまでもありません。加えて作家の気持ちに寄り添うべく想像が豊かになり、作家作品に対するこちらの理解がより深くなります。
あまり好みでなかった作品が作家の構想や制作秘話などで一転、非常に興味をそそられるものになることもしばしば。

私がいま作っているものは帽子で美術工芸品ではありませんから、帽子に対しての自身のコンセプトや思想などは本来は必用ないのかもしれません。「被り心地が良くてお客さまに似合う帽子」であれば充分です。

工芸品では無名の職人が作ったものもあれば、工芸作家が作ったものもあります(工芸館で所蔵展示するのは工芸作家の作った工芸作品になります)。
作家が作ったものは自己の思いを写し出すものとして自己表現の強いものになります(その自己表現が、あからさまにデザインとしてわかるかわからないかは、また別の話ですが)。お茶碗ひとつでも、作家ものと工場で大量生産したものと違うのはここです。

そうであるなら作家が作った帽子もメーカーがマスに向けて大量に作ったものとは異なるはず。そこに何かしら作り手(=私)の思いが反映されているのであれば、その考えは何かまでをきちんとお客さまに知っていただくための発信も作家だからこそ出来ること。

帽子そのものが被りやすく素敵であることは当然です。加えて作り手でしかわからない技や工夫や素材の良さ、欲張れば作家の考えなども知っていただけると、その帽子の価値をさらに生み出すことができる上にお客さまが愛情を持って被って下さるのではないか。そんなささやかな希望を持っています。

写真の帽子は売場に並べていると「素敵ね〜、でも被って行く場所がないわ」とお客さまはおっしゃいます。とんでもない!!! 当たり前に被って電車に乗って出掛けられます。そしてお客さま、「この帽子に合わせる服がないわ」とんでもない!!!スカートでもデニムでも、フェミニンにもマニッシュにも。「帽子は目立つのが嫌」とおっしゃる方もいらっしゃいます。突拍子もないコスチュームでもない限り、通りすがりのひとりひとりにまで人は神経を配って見ているでしょうか。あなたはどうでしょう?

私自身が帽子を被る実例にもなるのであれば、いろんな帽子を実際に被ってどんな楽しみ方が出来るのかを実際に見ていただくことも大切です。
「私はこういう気持ちでこういう感覚で作っている」ということと、「帽子でこんなお洒落ができて、綺麗に見せることができる」ということを、帽子と言葉の両方で表現し続けていきたい。新年、気持ちを新たにしてまいります。

野村あずさ

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