年内の帽子の催事が終了しました…1点もの・少量制作について思うこと

IMG_0029昨日をもちまして年内の帽子の催事が終了しました。百貨店からショッピングモール、古民家、果ては倉庫まで。いろいろな場所で大勢の方に帽子をご覧頂き、気に入ってお買い上げ下さったお客さまに心から感謝致します。その後 帽子とは如何お付き合い下さっているでしょう、楽しんでいただけているでしょうか。

催事の際には「1点ものから少量制作の作家の帽子を紹介しております」とお声がけをしています。
他の人とかぶらない「世界にひとつのあなただけのもの」、加えて作家性が発揮された個性や意外感の高さ。そこに魅力を感じていただけたらと思ってのキャッチフレーズ。

日除けや防寒、髪のダメージを隠すなどの機能と同時に、お洒落のアイテムでもある帽子。帽子を被ることは、好きなものを身につけているというワクワク感に加え、「私はこういう人です」の個性をアピールするものとなります。「いつもよりお洒落して他の人とは少し違う自分」を演出するとき、どこにでもあるようなもの・良く見るようなものではワクワク感も半減です。

私の帽子は裁断から縫製仕上げまで、1点1点全て自分で作っています。大量には作れません。しかしひとつひとつ自身で作っているから止むなく少量制作…ではなく、同じものが大量ではつまらない。ファッションは多様性・独自性があるから魅力的、みんな同じでは制服になってしまいます。

せっかくなので1点ものについて考えることも。
それが素敵で気に入っていただければお客さまはお買い上げになるでしょう…そこに「1点ものです、もう二度と手に入りませんよ」との付加価値が加わればさらに喜ばれるかもしれません。
ただあくまで作り手側の話ですが「1点しか作らない」と「1点しか作れない」では意味が全然違ってきます。
「同じものはいくつも作ることは出来る。しかし考えがあってあえて1点しか作らない」
「たまたま偶然いいものが出来た、でももう二度と作れない」
完成されたものが全てですから、その背景はお客さまは知る由もありません。関係ないと言ってしまえばそれまでです。が、そこに作家の技量の差が現れているように感じるのは私だけでしょうか。
作り出すものの出来映えが完璧なものと少々劣るものがあるとしたとき、技量がある作家であればその振り幅は限りなく小さくなります。そしてその技量は少なからず数と経験に裏付けされるものでもあります。
例えば陶芸家。土と形と釉薬と火の加減(酸化か還元かなど)でどういうものが焼き上がるか。テストにテストを重ね、最終的には「偶然」まで予測して作品を作り上げると伺いました。そこには「たまたま出来た名品」はないのです。

1点であれ少量制作であれ、私の持ち味と提案を盛り込んでひとつひとつ作った帽子です。
丁寧に縫製するのはもちろんですが、お客さまがいつまでも楽しんで被っていただけるよう…つまりは飽きることのないよう「他にはない作家ものの帽子」という希少性と個性を大切に。
そして自身がどうしてこういう制作スタイルを続けているのか、これからも自問自答しながらも帽子を作っていくことでしょう。

催事が一段落したところで1点もののファッションショーの帽子を作り始めました。
つばは完全フリーハンドで形づくっています。同じものを作れ!と言われれば限りなく近いものを作ることは出来るでしょう…でもショーの帽子ですから「あえて1点しか」作りません!

野村あずさ

2件のフィードバック

  1. こんにちは!
    このブログも他の関連サイトもじっくり読ませていただきました。
    すてきな帽子をたくさん作っていらっしゃって尊敬します。
    フェイスブックの方に友達リクエストしようと思ったのですができなかったのでこちらに書かせていただきました。
    私も京都で帽子を作っています。
    でも作るのは本当はあまり得意ではなくて、帽子が苦手な人に帽子を合わせてあげるエキスパートを目指しています。
    そしてすてきな作家さんともお知り合いになりたいな、と考えています。
    よろしかったらときどき情報交換などさせてください。

    • 三角さん、こんにちは。
      ご連絡ありがとうございました。
      帽子のなんたるかがいまだ手探り状態ですが、その試行錯誤の文章で帽子に携わっている方と知り合えたのでこれはこれで成果がありましたね!
      お申し出、光栄です!
      是非これからよろしくお願い致します。

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